2021年7月にお付けした通信を写真付き編集しました。
三男シンリが書いた記事になります。
ご注文頂きましてありがとうございます。
ここ数年のこの時期は暑さ、大雨共に異常気象のような感じがします。
ですが、ここまで続くとこれが通常になってきているのかと思わされますね。
杉本園内の歴史ブーム
最近杉本園ではちょっとした地元の歴史ブームが来ています。
パートさんが50年前の広報誌を見せてくれたり、地元に伝わる昔話を読んだりしています。
あと、杉本園のお茶畑の一角にある「鎧塚」の由来を調べたりもしました。
昔の広報には町や茶産業の発展について書いてありました。
地元では江戸時代に既にお茶栽培をやっていたようです。
更に明治以降に職を失った武士達や川越人足に輸出用の製品として茶を奨励したことから、今日の牧之原大茶園は出来上がっていきました。
渋沢栄一が関わった静岡県のお茶産業
またこの茶産業の発展には大河ドラマでやっている渋沢栄一も深く関わっています。
徳川慶喜が静岡に移ったときには一緒に行き、そこで静岡商法会所を立ち上げました。
産業発展を目的とした「銀行・商社・農協」などの役割を併せ持った組織のようです。
これによってお茶農家が事業資金を手にすることが出来るようになりました。
その資金で「工場、流通」などが整備されていったとのことです。
渋沢栄一は東京に行った後も、静岡のお茶産業を気にかけて様子を見に来ていたようです。
その後~現代の静岡県お茶産業
大正8年には国立茶業試験場 (現:農研機構野菜茶業研究所)もできました。
そこで、栽培方法、製茶方法について研究が進められて、お茶産業は発展していきました。
そして、昭和40年後半には機械化が進んでいきました。
昭和60年ごろには静岡県内のお茶の産出額が最高潮になりました。
しかし、その後は徐々に減り、令和になってからは最盛期の1/3ほどまで落ち込みました。
2019年には産出額を鹿児島県に抜かれて、2位になってしましました。
現在も放棄茶園は乗用型茶葉摘採機が使いにくい斜面を中心にどんどん増えてきています。
私たちも少しだけですが新しくお茶畑を借りて杉本園流茶園に改造しています。
慣行栽培のお茶畑が減ることで、農薬や化学肥料による汚染は減るかもしれません。
しかし、荒れ果てたお茶畑を見ると、少し考えさせられることもあります。
これからのお茶産業がどうなっていくのか、心配です。